8月29日、競泳の池江璃花子選手は50m自由形で1年7か月ぶりにレース復帰し、順調な回復ぶりをうかがわせています。
ちなみに水泳の競泳種目は夏季オリンピックにおいて古くは日本のお家芸とも呼ばれていた競技です。戦後は低迷時期もありましたが、近年復活の兆しを見せています。
そこで今回のテーマは競泳の泳方についてです。
競泳の種目には大きく分けて「自由形」「平泳ぎ」「背泳ぎ」「バタフライ」の4種目とメドレーがあります。
現在「自由形」の種目では皆が「クロール」を泳ぎます。
しかし、競泳種目において、「自由形」=「クロール」という決まりはありません。
なので「自由形」="自由な泳法"とする中で、現在最も速い泳方として結果的にクロールが選ばれているに過ぎません。
では「クロール以外の3種目ではどの泳法が速いのか?」となると、意外にわからないのではないかと思います。
そこで各種目別の花形距離とされる100mの世界記録をみてみます。
【競泳4種目100m世界記録】
~男子100m記録~
種目 | 記録 | 選手 | 国籍 | 樹立年 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|
自由形 | 46秒91 | セーザル・シエロ | ブラジル | 2009 | 世界水泳選手権 |
背泳ぎ | 51秒85 | ライアン・マーフィー | アメリカ | 2016 | リオデジャネイロオリンピック |
平泳ぎ | 56秒88 | アダム・ピーティー | イギリス | 2019 | 世界水泳選手権 |
バタフライ | 49秒50 | ケーレブ・ドレッセル | アメリカ | 2019 | 世界水泳選手権 |
~女子100m記録~
種目 | 記録 | 選手 | 国籍 | 樹立年 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|
自由形 | 50秒91 | ケイト・キャンベル | オーストラリア | 2015 | オーストラリア選手権 |
背泳ぎ | 54秒89 | ミンナ・アザートン | オーストラリア | 2019 | 国際水泳リーグ |
平泳ぎ | 1分02秒36 | ルータ・メイルティーテ | リトアニア | 2013 | FINA Swimming World Cup |
バタフライ | 54秒61 | サラ・ショーストレム | スウェーデン | 2014 | 世界短水路選手権 |
(参考:Wikipedia)
そして自由形種目では全員がクロールで泳いでいることから速い順に、
①クロール(自由形)→②バタフライ→③背泳ぎ→④平泳ぎ
であることがわかります
4泳法100mスピードランキング(世界記録・秒速)
1位.クロール
男子:46秒91(2.13m/秒)、女子:50秒91(1.96m/秒)
2位.バタフライ
男子:49秒50(2.02m/秒)、女子:54秒61(1.83m/秒)
3位.背泳ぎ
男子:51秒85(1.92m/秒)、女子:54秒89(1.82m/秒)
4位.平泳ぎ
男子:56秒88(1.75m/秒)、女子:1分02秒36(1.60m/秒)
ちなみに50mの世界記録もこの順位は同じです。
クロールの次にはバタフライが速く次いで背負泳ぎとなり、平泳ぎはスピードでは劣るということがわかります。
ここでひとつ疑問が生まれます。
自由形でクロール以外を泳いだケースはあるのか?
ということです。
以前、TBSのサタデープラスというTV番組で競泳種目の歴史について、元日本代表の松田丈志さん(五輪バタフライ銅メダリスト)が教えてくれました。
非常にわかりやすかったので、オリンピックの競泳の歴史と合わせてご紹介させていただきます。
当初の自由形は全員平泳ぎだった!
そもそもオリンピックにおける競泳の歴史は古く、1896年の第1回アテネ大会から正式種目として存在していました。
当時の競泳種目は自由形のみです。そして、当時は全員が平泳ぎでした。
実はこの頃はまだ、クロールはおろか背泳ぎやバタフライもありませんでした。
そもそも息つぎという概念がなく、泳ぐときは顔を出したままにすることが当たり前の泳ぎ方でした。
よって、全員が顔を上げたまま泳ぐ平泳ぎで競っていました。
実は競泳種目の歴史を語る上で、平泳ぎという泳法は最も重要な位置づけにあります。
背泳ぎの出現。平泳ぎ消滅のピンチ!
しかし第1回オリンピックのちに、競泳の世界に思いもよらない事件が起こりました。それは背泳ぎの出現です。
自由形種目で、仰向けになって泳ぐ選手があらわれました。しかもそれが平泳ぎより速く泳げてしまう結果となりました。
それによって、他の選手もこぞって背泳ぎで泳ぐようになっていきました。
しかし、当時は”平泳ぎこそがもっとも正当な泳ぎ”との認識が一般的でした。
これでは正当な泳法である平泳ぎがいなくなってしまうと危機感を覚えた運営者サイドは、第2回オリンピックのパリ大会から背泳ぎを別種目として独立させました。
これによって競泳種目は「自由形」と「背泳ぎ」の2種目となりました。
最速クロールの出現。平泳ぎまたしても消滅のピンチ!
背泳ぎを独立させて存続の危機をま逃れた平泳ぎですが、パリ大会の後にまたも歴史的な出来事がありました。それがクロールの出現です。
今ではもっともメジャーな泳法ですが、その最大の特徴はそれまでになかった”息つぎ”という新しい概念によって生まれた泳法でした。
クロールは圧倒的に速く、またたく間に自由形の中心になっていきました。
これによって、またしても平泳ぎは消滅のピンチを迎えました。
そして永続的に平泳ぎを残すため、ついに1904年セントルイス大会から平泳ぎは独立した種目とされました。
その結果、競泳種目は「自由形」「背泳ぎ」「平泳ぎ」の3種目に分かれました。
バタフライ出現。またまた平泳ぎピンチ!
さてこれで平泳ぎも安泰かと思われていた中、またしても消滅の危機にさらされます。
それがバタフライの出現です。
今でこそ全く違う泳法ですが、元々は平泳ぎとは"うつぶせで左右対称に手足を動かす"というルールしか定められていませんでした。
1928年のアムステルダム大会で、ドイツの選手が両手を水上にあげる今のバタフライのような泳ぎかたで好成績を収めると、世界中に広がっていきました。
この泳法が研究されていくと次第に平泳ぎよりも速いことが明らかになってきました。
その結果1952年のヘルシンキ大会では、平泳ぎ種目でほとんどの選手がこの新泳法(バタフライのような泳ぎ)を用いる状況になっていました。
そして”今度こそ平泳ぎが消滅か”と思われたところでしたが、1955年にこの新泳法を「バタフライ」として種目を独立させ、平泳ぎはまたしても存続することとなりました。
そして現在のように「自由形」「背泳ぎ」「平泳ぎ」「バタフライ」となりました。
クロールより速いドルフィンクロール
ところで今も「クロール」という種目を作っていない理由として、競泳の「自由形」は常に最速の泳法で行われるという考え方が根底にあります。
よって将来クロールより速い泳ぎ方があらわれれば、その座がとって変わられる可能性も十分に有りえます。
実際に2000年のシドニーオリンピックでは、マイケル・クリム選手が出場し、自由形において最後のスパートで従来のクロールとは異なる泳ぎ方を披露しました。
それがドルフィン・クロールという泳法です。
これは手はクロール、足はバタフライの動きをする泳ぎ方です。
しかし、あまりの体力消耗の大きさから、最初から最後までその泳法で泳ぎ切ることは非常にむずかしく、マイケル・クリム選手も最後のラストスパートでしか使用しなかったようです。
実際にTV番組内で松田丈志さんも50mをドルフィンクロールでチャレンジしましたが、後半の25mでバテてしまい失速していきました。
競泳が日本のお家芸になるまで
日本人初の競泳オリンピック参加となったのは1920年(大正9年)アントワープ大会です。
各国が自由形でクロールを泳ぐ中、日本選手2名(内田正練、斎藤兼吉)は伝統の日本古式泳法(横泳ぎ)で果敢にも挑戦しました。
(当時日本ではまだクロールが知られていなったため)
しかし残念ながら結果は大惨敗で、やはりクロールには全く歯がたちませんでした。
そのスピードの違いにショックをうけた内田正練は、世界と戦うにはクロールをマスターするしかないと考え、日本でクロールを普及させることに全力を注ぎました。
その努力の甲斐あって、日本選手は急激に力を伸ばしていきました。
そして初出場からわずか2大会後のアムステルダム大会では、金メダル含む3つのメダルを獲得し、さらに次のロサンゼルス大会(1932年)では、金メダル5個、銀メダル5個、銅メダル2個、世界最多のメダル数(12個)を獲得するまでになりました。
男子に至っては6種目中5種目で金メダル獲得という快挙です。
続くベルリン大会でも金メダル4個含む計11個のメダルを獲得し、アメリカを圧倒しました。
1920年大会に古式泳法(横泳ぎ)でチャレンジし大惨敗してから、わずか十数年後のロサンゼルスと翌ベルリンの2大会で世界の頂点にたったことになります。
戦後の日本競泳界はしばらく低迷が続きましたが、鈴木大地(’88ソウル)、岩崎恭子(’92バルセロナ)の活躍ののち、2004年アテネ大会での北島康介らの活躍を皮切りに、日本勢は復活の兆しを見せています。
前回のリオ大会では、計12個ものメダル獲得となりました。
来年の東京オリンピックでは、エース瀬戸大也選手(個人メドレー代表内定)をはじめ活躍が期待されているところです。
まとめ
- 最速の泳法はクロール。よって自由形の泳法に使われている
- 当初の自由形は平泳ぎだった
- 新しい泳法が現れるたびに平泳ぎが消滅の危機に
- 競泳種目の新設は常に平泳ぎ種目を残すための措置でもあった
- 日本のお家芸「競泳」、初めはオリンピック大惨敗から始まった